アメリカン・サーカス

19世紀の終わりから20世紀の初頭にかけての西洋のトラディショナル・タトゥーは、サーカスと大きな関わり合いを持ち、ともに発展してきました。歴史を語る上で、サーカスとタトゥーの関連性は、避けて通ることはできません。

サーカスは、アメリカでもっとも人気のあるエンターテインメントとして栄え、主要なサーカス団はタトゥーが入った人たちを雇い、アーティストに実演をさせ、タトゥーをパフォーマンスの一部として見せました。当時活躍していたタトゥー・アーティストのほとんどは、春と夏の間、サーカス団とともに旅をしながらタトゥーを彫り、冬にタトゥー・ショップで仕事をするという形式をとっていたのです。

アメリカで初めて、サーカスが催されたのは1793年。当時はまだ、華やかなサーカスのイメージとは程遠く、一座で街を練り歩くスタイルで、1800年代になってようやくテントをはってその中で催すようになりました。1869年、アメリカの西側と東側が鉄道で行き来できるようになって、やっとあちらこちらで大きなサーカスが開催されるようになったのです。
アメリカで、初めて見せものとされたタトゥー男“ジェイムス・オー・コネル”は、航海中に難破してしまい、しばらくの間、ミクロネシアのカロリン諸島にあるポンペイ島で原住民とともに生活していました。タトゥーはそのときのもので、1834年、アメリカへ帰国した後、サーカスで見せものとして働くようになったようです。
一方、初めてのタトゥー・レイディは“イレン・ラベル・ウッドワード”という女性で、当時活躍していたサミュエル・オー・レイリーとチャールズ・ワグナーの作品がたくさん入っています。

タトゥー男やタトゥー・レイディは、サーカスの中の“サイド・ショー”としてフリークスの人たちと一緒に見せものとされてきたので、田舎の保守的な人たちやサーカスを運営するにあたりお金を出すお金持ちのオーナーの中には、あまりいい顔をしない人もいました。そのため、少しでも快く見てもらえればと、アメリカの国旗や象徴となるイーグル、自由の女神、キリスト、マリアなど、愛国心のあるデザインや宗教的モチーフのタトゥーを入れることも多かったようです。また、あわせて“ラブ・ワン・アナザー(互いを思いやる)”や“ジーザス・セイヴズ(救世主ジーザス)”などの言葉が入ることも多かったといいます。

第二次世界大戦後、サイドショーで見世物となるフリークスを医療的見解や公的機関により疑問視される動きが活発なり、また、民衆が映画やテレビといったサーカス以外の娯楽に移行していくにつれサーカスは少しずつ衰退の道をたどっていきました。


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